かん袋のくるみ餅堺といえば、古墳が世界遺産になったことや、歴史の教科書でも南蛮貿易で栄えたことなどが有名ですよね。
千利休や与謝野晶子の出身地としても有名で、刃物の町として今も高品質の包丁などが作られている歴史深い町です。
そんな堺の町に鎌倉時代から700年続く和菓子の老舗があります。『かん袋』の名前の由来
安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城したときに、堺の商人納屋衆へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(西暦1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻が餌を運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出かけ、餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋が舞い散るように屋根に上がり、そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称え、「以後かん袋と名付けよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。
(かん袋のホームページより引用)
更新日:
2025-07-03